第1000回例会
2006 9 15
 
卓話 例会当番 記念祝福
9/15

9/22

9/29
ピアノ・ビブラフォン・マリンバと
  シャンソンを楽しむ会
「伝習録を読む」  
    林田 明大様
「民社党から見た政局」
    五十嵐文彦様

 室伏 秀樹

 本橋 文夫

森 研一
       
月日 会員数 出席者 出席率 前回修正
9月8日 47名 38名 80.8% 91.4%
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 会長挨拶                          平岡 徳大

 皆さんこんにちは、会長挨拶申し上げます。「風、少し鳴らして二百十日かな」秋を感じさせる大変いい句でございます。
又、秋は一年中で気候も宜しいですし、お月様の一番美しい季節でもあります。空気が澄み渡って本当に綺麗に見えます。満月を祝って新月を忌むのは当然の事、その祝いが一年で一番美しいのは「中秋の名月」即ち十五夜でございます。日本にも例えば平安貴族の間でその風雅がとり入れられて来ました。又鎌倉時代から江戸時代に掛けては、宮中で「月見の宴」が催されたと言われております。それが民間へも伝わったと言いたい所ですがそうではなくて、民間ではもっと生活に即した行事として発達を見た所でございます。民間では時折りに「節祝い」を行って来たのであります。のちに伝わる一般例としては縁側や屋外に月見の台をしつらえ、そこにススキを飾り、芋の葉にのせて団子、栗里芋、枝豆等を供える。その最も重要なのは里芋、丁度このころしんこ新芋の収穫物である。その中秋の名月は別に「芋名月」とも称され、又、一方で十三夜を祝うならわしも広く分布しました。但しこの十三夜は新暦では10月中旬〜下旬でありまして、十五夜に対して「後の名月」ともいわれ「豆名月」又は栗名月と呼ばれたわけです。十五夜同様に色々なものが供えられたわけですが、このころ丁度収穫期を迎える大豆と栗がお供えの中心であったわけです。このことから農村社会での月見は、月をあが崇めて畑作物の収穫儀禮というべきものでありました。
又、ススキは収穫間際の稲穂に見たてて飾り、団子は又月に見たてて飾るとも言われ、十五夜は十五個、十三夜は13個というのが普通だそうであります。
さて皆さん、今宵は満月でもゆっくりながめて、風雅を愛する心、又浩然の気も併せて養ってもらいましたら今日申し上げた甲斐もあったというものでございます。以上会長挨拶と致します。

 幹事報告                           本橋 正夫

理事会報告
1、 親睦旅行11月12日(日)〜14日(火)九州旅行決定。例会振替は11月17日(金)
  に決定しました。
2、 各委員会報告
○ クラブ奉仕委員会…山田委員長より、9月 例会卓話講師予定を決定
○ 職業奉仕委員会…新井委員長より、8月5日川越 氷川会館にて職業奉仕セミナ
  ーの報告書が送られて来ました。
○ 社会奉仕委員会…大舘委員長より社会奉仕セミナー8月26日東松山紫雲閣で行
  われた報告ありました。
○ 国際奉仕委員会…栗原委員長より山形西RC訪問について報告があり、6〜8名
  ぐらい参加予定。
3、 新入会員について…所沢市中富在住 建築設計事務所経営 柴田 節雄さんの入
  会申込みがあり、理事会にて承認されました。
4、 その他
・ 識字率向上プロジェクトの募金のお願い
・ 所沢5クラブ会員名簿作成を作成することになりました。
◆「友」インターネット速報 249
◆「第5回ロータリー全国囲碁大会」開催のお知らせ 10/29(日) 日本棋院会館
◆学友会ニュース 第96号
◆例会変更…狭山中央RC
◆週報…狭山中央RC、日高RC、狭山RC

 論語の唱和                           豊田吉三郎     

 孟武伯 孝を問う。子曰く、父母には唯其の病を之れ憂えよ。
<現代語訳>
 孟武殿が(老先生に)孝の意味を質問したところ、老先生はこうお答えになられた。「父母に対して、病気ではあるまいか(と健康状態を)ただただ心配することだ」と。

 親睦活動委員会                      鹿島喜久二                   

 今年度の秋の親睦旅行は、11月12日(日)〜11月14日(火)「秋、旬の九州、こんこんと湧く別府の湯、阿蘇、熊本、柳川、大宰府 3日間」です。ご家族共々の御参加を心よりお待ち申し上げます。

 国際親善奨学生                       鈴木亜矢子

 2004〜5年度国際親善奨学生として、英国北アイルランドのベルファストに留学させて頂いた鈴木亜矢子です。この度、2年の留学を無事終了し帰国致しました。色々苦労もありましたが、この2年間諦めかけた卒業への道を踏ん張ってこれたのも皆様とホストロータリアンの方々の御支援のお陰です。こうして帰国報告出来ました事を、心より嬉しく思います。本当に有難うございました。


 ニコニコボックス                        平林 忠

平岡徳大   県会議員の藤本正人様本日はありがとうございます。
本橋正夫   藤本正人様お忙しい中大変ありがとうございます。
内田 学    前回欠席。

卓話  『競輪事業をめぐる攻防』           県会議員 藤本 正人様

 この8月29日、遂に所沢市は競輪事業から撤退することを宣言した。世の人はそれをさらっと流してしまったようで、役所にも一本「西武園がなくなると迷惑料が自治会に入らなくなるのか?」という電話が入っただけだ。しかし、この決断、この宣言は、それはそれで快挙であり、この決断の裏には数多くのドラマが隠されているのである。競輪は公営ギャンブル。昭和25年、戦後復興期、税収も無く、自治体経営を助ける為に許可されたものであった。全国に許された会場は50場、人々は数少ないギャンブルにこぞって参加し、平成3年売り上げがピークに達し、一兆9500億となるまで栄えつづけた。 
 西武園競輪場も御多分に漏れず、所沢開催分の売り上げは平成3年の75億円、その売り上げから75%を当たり券配当に、残り25%から上納金、貸場代、諸経費を除いた残りが所沢市に儲け(収益)として繰り入れられ、総計約107億円が所沢市の会計に入ってきたことになる。昭和50年頃からの10数年間は、競輪からの繰入金が歳入の1割を占めていた。一回競輪をすれば一校が建つ、とも言われたほどだった。が、レジャーの多様化からか、不景気からか、平成15年には遂にその売り上げ額がピークの半分になるほど人気が失われてしまった。売り上げが半分になったら、きっとまずは人員削減(リストラ)と規模縮小で対応するものだろう。50場(店舗)あった店は、その何割かは閉店して窮場をしのぐに違いない。しかし競輪はそれが出来ない。50場一つ一つが独立した経営体であり、さらに同じ一つの場の中でも参加する自治体どうしが独立して運営し、人を雇い経費を払い、そして収益を我が物としているからである。全体を統率し経営する存在は、全国的にも、一つの場内にも残念ながらないのである。
 じり貧になったところから脱落していく。実は今、全国47場に淘汰されたが、多くの場では赤字が重なり、今までに貯金しておいた基金の取り崩しで何とかやっているのであった。
 平成11年決算で所沢市は基金も底をつき遂に市民からの税金(一般会計)から競輪運営のために補填するという事体となった。そしてその翌年にも赤字。所沢市は2度の補填は許されない、と法律を違反し、日本自転車振興会への上納金不払いを宣言。同時に国、県に法改正と運営の一元化を求めたのだった。国は怒り、違法行為を責め、県は「虫がいいね」と無視(あらぬ半兵衛)をきめこんだのだったが、そこは世の中うまくしたもの。同じ状況の施行自治体たちが所沢を支援する会を結成し、団結し共に闘い始めたのである。
 さて、その後の詳しい話は全て割愛!! 所沢市は所沢市議会と共に、国、県、そして川越ほかの施行市と市民益をかけて闘い、西武との関係、従事員の保護を乗り越えて、遂に「撤退」を宣言したのである。手切れ金を払っても傷を最小限にとどめようとする決断であった。助役、部長と適材を適所に配置し、軟着陸を成功させる斉藤市長の真骨頂でもあった。手練主管で戦った市職員を、だから皆さん、ねぎらってやって下さい。
 その上で、大宮、西武園2場は県の掌中となったわけです。今度は県議が知を巡らし決断する番です。
                               今週の担当   須澤 一男
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