第1149回例会
2009 12 4
 
 
卓話 例会当番 記念祝福
12/4



12/11


12/18
年次総会
 パスト会長卓話
      原 正興様 
      小暮 博攵様
曹洞宗 長青寺住職
 所沢中央RC会員
      引間 惟一様
クリスマスパーティー
夜間例会 点鐘 6:30〜

  栗原 正明



  肥沼 興平


  肥沼正之助
      12月会員誕生
 本橋 正夫 上野 孝二 大舘 信夫                       
月日 会員数 出席者 出席率 前回修正
11月27日 45名 36名 85.7% 97.8%
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会長挨拶                                 本橋 正夫

 皆様こんにちは。本日の卓話の講師は会員の太田様のご紹介で、地元三ヶ島の新井様です。所沢三ヶ島周辺の色々なお話をして頂けるとの事で、大変楽しみにしております。
  一昨日、11月25日(水)第3グループ会議が飯能プリンスホテルで行われました。山田幹事と出席して参りました。各12クラブの意見交換が行われ、地元飯能ロータリークラブより報告があり、当飯能プリンスホテルが来年の営業が一部中止されるそうで、新しい例会場を探しているとの事で大変驚きました。
 又、他クラブよりRI及び地区に対して要望・意見等が色々出ておりました。我々所沢西ロータリークラブは、皆様のクラブ運営へのご協力のお陰でクラブライフを楽しんでおりますと報告させて頂きました。
 又、各クラブにおきまして、会員増強の話題になりこの状態では、増強より会員の退会を食い止める方が大変との報告が多く出ました。
 昨日11月26日は入間ロータリークラブ創立50周年記念式典が都内メトロポリタンホテルにて行われました。山田富男幹事、平岡徳大地区部門委員長と3人で出席させて頂きました。  
 入間ロータリークラブは、50年前、親クラブである大宮ロータリークラブで創立されました。その時のチャターメンバーが出席されていました。会員の年齢が99歳でその他、数名のメンバーが30年以上在籍されており、表彰されていました。皆様大変お元気で、ロータリーを楽しみ、奉仕活動をされているそうです。入間ロータリークラブの伝統を感じさせて頂きました。
  我々所沢西ロータリークラブは25周年ですが、会員の皆様には入間ロータリークラブに負けない様、健康で楽しいロータリーライフをお過ごし頂き、長く活躍をして頂きたいと思います。
  これで会長挨拶を終わらせて頂きます。ありがとうございました。 

 幹事報告                                 山田 富男

* 新世代部門委員よりライラデーのご案内…3月6日(土)国立女性教育会館
* 埼玉県地域防災サポート企業・事業所登録促進のお願い…12月25日(金)
* IM開催のご案内 2月13日(土)狭山東武サロン 講師 森本 敏(さとし)様
  テーマ 「今後の国際事情と日本の課題」
* ブライダル委員会便り 第5号
* 学友会ニュース 2009年10月号、11月号
* 例会変更…日高RC
* 週報…新所沢RC、所沢中央RC、所沢東RC、

 インフルエンザについて                         大東 昭雄

 最近、テレビ、新聞等で盛んにインフルエンザについて毎日の様に報道されていますが、新型インフルエンザと云っても、今までの季節性のインフルエンザのA型の一部が変異したものです。ですから症状としても全く同じでいきなり高い熱が出て体のふしぶしの関節が痛く、のどが痛いという状態がおこってきます。
 又、普通に調べる簡易なインフルエンザキットの検査では50%位しか陽性に出ず、まして新型と断定するのは特別な機関でDNAの検査をする以外に有りません。ですから治療法としては早めに、タミフルとかリレンザの吸入等を早めに使う事が大切です。
 予防法としては、手洗いとかうがいの他に睡眠不足や過労を避けて体力を落とさないで免疫力を付けておくことです。その他有効なことはインフルエンザの予防接種を是非しておくことが必要です。ワクチンの接種は病気が重くなったり、肺炎を予防する重要な手段です。

 ニコニコボックス                              石井 實

本橋 正夫  卓話の講師 新井様大変お世話になります。昨日の入間RC50周年の祝に山田幹事、
         平岡地区部門委員長御参加御苦労様でした。
上野 孝二  本日新井様卓話有難うございます。
太田 一夫  今月18日所沢市より民生委員4期12年の功労により表彰されました。
         又、卓話の新井さん今日は御苦労さんです。
二上 詳吉  人並みに風邪を引きましたので欠席します。
渡部 照夫   2週欠席させて頂きました。(届出でいます)
小暮 博攵   前回欠席。
鈴木 真澄   12月4日お休みします。
栗原 和明  本日早退します。
平方 真一  本日早退します。   

卓話      『三 小 応 援 歌 の思 い 出』          新 井 正 裕 様

 皆様、こんにちは。本日は所沢西ロータリークラブの定例会議にご招待をいただきまして、ありがとうございます。そのうえですね、町の名士でいらっしゃいます、西ロータリーの方々の前で、愚でもないお話をしなければならない試練の場を与えていただきまして、重ねて心から感謝を申し上げる次第でございます。今、とても緊張しております。
 まず、自己紹介を申し上げたいと思います。
なお、あらかじめお断りを申上げておきますが、自己紹介や、話を進めていく中で、本日は何曲かの歌が出まいります。もちろん私が歌います。伴奏はありません。そのうえ、正気で歌います。恥かしいです。
 それから、私が歌を歌いますと、普段であれば、それなりのギャラをいただくことになっているところでございます。
 しかし、所沢西ロータリーの方々には日ごろ何かとお世話になっておりますので、マネージャーを務めます私の妻に、今回のオファーについて話したところ、「そうゆうことじゃあ、しょうがんめえ」、通訳いたしますと、「それでは仕方がないでしょう」との判断が下がりました。   
 このような経緯から、本日は特別に「無料配信」の手続きをとってまいりました。ただし、歌の上手下手につきましては、皆様のご判断にお任せをいたします。ちなみに、カラオケの点数は、八十点を超えたことはないことを、あらかじめご報告申し上げておきます。
 また、浮気な性格から、私の話はあっちこっちに飛びます。さらに、これからの生きざまに影響するような高尚な話はなに一つもなく、「ためにならずダメになる」ような、一個人の思い出話とご理解いただければ幸いに存じます。
 それに、今から五十年も前の記憶でありますことから、若干の記憶違い、思い違いがあります。そこで、あらかじめお断りを申し上げておきますが、「この物語はフィクションであり、登場する団体や人物が実在するものであっても一切関係ありません」ということを、固くかたくお断りしておきます。
 たいへん前フリが長くなってしまいましたが、そろそろ自己紹介に入りたいと思います。
 それでは、まず名前ですが、名前は、(ここで、まず一曲目。いいですね?)先ほども申し上げましたが、正気で歌うというのは、恥かしいです。では、「小倉生まれで 玄海育ち 口も荒いが おれ新井」ということで、新井と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 なお、スパイとして当時のソ連に潜入していたときには、ドスケビッチ・オナゴスキーと名乗っておりました。
 次に、住まいでございますが、ただいま私を紹介してくださいました太田さんに、「所沢のチベット」と呼ばれております三ケ島からやってまいりました。チベットといいますと「辺境の地」、というイメージをお持ちになる方が多いと思いますが、未開の地ではありません。まあ、確かに自然は多いです。
 今年、たいへんよく実ったトウモロコシが、狸だかハクビジンにやられてしまいました。悔しいです。まあ、このように自然豊かな三ケ島からやってまいりました。
 話は飛びますが、先ほどから、なぜ太田さん太田さんと、お名前を呼ばせていただいているかと申しますと、実は太田さんとは三十数年来お付き合いをいただいておりまして、夜行列車で旅行に行ったり、ラジバンダリ。また、数年前には、太田さんご夫妻と、うちのつがいで京都にも行きました。京都では、太田さんの持病であります痛風が出たりと、大騒ぎでした。
 まあ、このように、「西ロータリーの大御所である太田さんを、僕は知っているんだよ、つまり、話が滑っても怖くないんだよ」と、皆様方を牽制しているのであります。
 話を戻しまして、年齢でございますが、二曲目です(マジ 恥かしいです)。では、「村の渡しの船頭さんは 今年六十のおじいさん 歳はとってもお舟を漕ぐときは 元気いっぱい櫓がしなう それ ぎっちら ぎっちら ぎっちらこー」と童謡に歌われております六十歳です。間も無く六十一歳になりますが、六十歳の実感は全くございません。ございませんが、櫓がしならないことは事実でございます。しなるどころか、しなびております。英語では、「シーナ・ビーテル」ですね。
 さらに細かく申し上げますと、昭和二十三年十二月十日生まれです。皆様ご存知のとおり、昭和十五年が紀元二千六百年で、その年に完成した戦闘機が、紀元二千六百年の最後の数字「零」をとって、「零式戦」。アメリカ軍から「ゼロ・ファイター」と呼ばれて恐れられました。いわゆる「ゼロ戦」です。この「零式戦」の誕生から八年後、紀元二千六百八年の生れでございます。
 干支は、こまめに働くねずみ年生まれでございます。このことから、本来は猫、といいますが、猫系の動物は大っきらいなんですが、太田さんが寅年生まれ、ということで「阪神タイガーズ」が大好きなものですから、つられて私もファンになってしまいました。他人の意見につられやすい性格から、伝書鳩には向かない、うつろいやすい性格をしております。
 これで、ようやく自己紹介が済みました。それも、最低限の住所と名前と年齢だけですね。
どうでもよいことですが、趣味は、不純異性交遊と刃物研ぎ。好きなものは、生き物全般ですが、哺乳類が好きです。
 特に、若い女性は可愛いですね。ただ、この頃は、許容範囲が三〇歳から五十五歳までと、たいへん幅の広い、寛大な気持ちを持てるまでに成長することができました。
 それでは、本題に入りたいと思います。っていうか、きょう、どうしてこの席で話さなくてはならない羽目に陥ったか、についてもお話ししておこうと思います。
 それはね、「なーんでか?」(これは一曲に入りません)。なんでか、と申しますと、たびたび登場していただきます太田さんから、「新井も昔本を出版したことだし、冥土の土産に一度ロータリーのみんなの前で、仕事以外の話をしてみないか?」という話をいただいたのです。それも飲みながら。不覚にも、飲みながらやっちまったんです。
 やはり、大事な話は飲みながらしてはいけません。まあ、大変良い機会を与えてくださったと思いまして、お引き受けいたしました次第でございます。
 ただ、私もたいへん固い会社に長く務めておりましたので、「笑わせていくら」という仕事はしたことはございませんので、面白くないです。どうぞ、十一月の、とある一日の小時間を捨てた、と思ってお聞きいただけたら、望外の幸せに存じます。
 それでは、たいへん長らく引っ張りました。本題です。
 実は、今から十八年前の平成三年六月に「三ケ島地方の方言」、続いて翌年の十月には「続・三ケ島地方の方言」という本を自費出版しました。当時、読売新聞が取り上げてくれまして、県内はもちろん、県外からも「ぜひ、譲って欲しい」との電話や手紙がありまして、大反響でした。新聞に載ったその日に子供を連れてヨーロッパ旅行に出かけまして、留守番をしていた両親は、「朝から電話が鳴りっぱなしで、トイレにも行ってられないほどだった」と言ってました。
 また、NHKからの取材の申込みもありました。そのほか、入間市にあります「FM入間」、愛称「FMチャッピー」で毎週日曜日に、三年以上番組を持たせていただきました。当時、番組を進行してくださったパーソナリティは、阿島 理奈さんという素敵なお嬢様でした。そのお嬢様を前に、「あんちゅうだんべえ」「あーにへだらこいてんだー」とやったわけです。その阿島 理奈さんのお父様が、馬主だったと伺っております。どうでもよいことで、横道にそれました。
 尚、手持ちの本もほとんどなくなってしまいましたが、西ロータリークラブに置いていただこうと、何とか探し出してまいりました。たった一冊でございますが、ご覧いただけましたら幸いでございます。
*1 本を取り出す。写真を説明 見開きは、同級生が操縦するセスナからの空撮ですね。
 それから、クラスの集合写真です。一クラス五十人ぐらいの、この集合写真のうち、同級生の約半分が人間、残り三割弱が狸で、二割がキツネ、わずかにムジナが何人かいたのを覚えています。ムジナの穴太郎君は、五年生のときに父親が転勤になってしまいまして、転校していきました。哀しかったです。
 修学旅行の写真ですね。行き先は、江ノ島・鎌倉・箱根でした。生れて初めて「海」を見て驚きましたね。それから、修学旅行に米を持って行きました。泊った旅館は、「さぬき屋」でした。
 当時、持って行っていいお小遣いが三〇〇円だか五〇〇円で、修学旅行のお土産の定番であります、木刀とピストルを買ってしまってお金がなくなったころ、サザエの壷焼きの香ばしい香りが漂ってまいりましたが、とうとう食えなかったですね。
 リュックの中にはピストルが、手には木刀がしっかりと握られているわけですから。今でも、近所の「ひさご寿司」でサザエを食うとき、修学旅行を思い出す今日この頃でございます。
*2「はじめに」を読む
*3「セスナが来た日」を読む
 まあ、素人が出した本ですから大したことは
ありませんが、一つ自慢は、この本が国立国会図書館に永久保存されていることを思うと、とても誇らしい気分になります。
 また、国立言語変化研究所の方から、あの、方言とは言わないで、言語変化っていうんですね。その、言語変化研究所の方から、「たいへんよくまとまっています」、とのお言葉(たぶんお世辞でしょう)。そのお言葉と一緒に、「ぜひ、金田一先生にも差し上げるとよろしいですよ。ただし、金田一先生からの返事は来ませんから」と言われたこともたいへんうれしかったです。もちろん、教えられましたご住所に、しっかりとお送りさせていただきました。
 本文の中で、特に評価をいただきました、「たてめえ (建前。上棟式)」ですね。
*4 P三十二読む。
 この項目について、先ほどの研究所の方が「面白いですねえ。実況中継みたいで。生き生きと書かれています。新しい方向性なので、これからも期待しています」といわれたことです。
 もう一つうれしかったのが、地元で開業したお医者様から「お年寄りの言ってることが分って助かる」という言葉をいただいたことですね。「先生、おらあ、ゆんべあたりっから、くげんでしょうがねえだあよ」。わかりますか?「くげん」は、「気分がすぐれない」ことです。あとは、「うざってえ」というのが「気持ち悪い」ということです。ちなみに、「うざい」は、現代っ子も使ってます。
 さて、このようなことが「そこ、はかとなく、つれづれなるままに書きつづられて」おります「三ケ島地方の方言」から、今日は、二点に絞ってお話をしたいと思います。
 それは、三ケ島小学校の校歌と、連合運動会のときに歌った「三小、三ケ島小学校を略して、三小ですね。その、三小応援歌」です。まずは、三ケ島小学校の校歌から。
*1 (確か、3曲目ですね)歌う

大地はみどり 青い空 光あふれる 武蔵野に
心の花の 咲きにおう われらが三ケ島小学校

真夏も冬も 元気よく 伸びよ学べよ 春来れば
狭山ケ丘の 揚げひばり われらが希望を 歌ってる

麦生の畑に 茶のかおり 富士の根あおぐ この園に
里の栄を いや増して 新たな祖国を 築くのだ

 いかがですか?素晴らしい校歌ですね。この校歌に応えられるような業績も残せず、全く申し訳なく、恥かしい限りです。
 まあ、業績はあともかく、この校歌がですね、一年生のころからしっくり来るんです。いま思い出しても、なんていい歌なんだろう、って。そこで、考えました。じっくり考えました。おわかりになりますでしょうか?
 歌詞カードがないので、お気づきにならないと思いますが、実は「七五調」なんです。

「春まだ浅き 前線の 古城に薫る 梅の花」
(梅と兵隊)
「花もつぼみの 若桜 五尺の命 ひっさげて」
(ああ紅の血は燃ゆる)
「一番乗りを やるんだと 力んで死んだ 戦友の」
(戦友の遺骨を抱いて)
「何にも 言わず 靖国の 宮の階 ひれ伏せば」(そうだその意気)
「恩賜の煙草 いただいて 明日は行くぞと 決めた夜は」 (空の 勇士)
ちよっと例外で、全部七文字で、最後だけ五文字なのが、
「可愛い魚雷と 一緒に積んだ 青いバナナも 黄色く熟れた」 (轟沈)

などなど、たくさんありますが、たまたまわかりやすく例を挙げましたら軍歌でした。「みかんの花咲く丘」「灯台守」「村まつり」うきうきしてきます。もちろん、小学唱歌や演歌などの多くが七五調で作詞されているようです。「おいら岬の 灯台守は 妻と二人で 沖ゆく船の」
 俳句、川柳、短歌、等々もですね 。私は、日本人の魂は、七五調でできていると、勝手に信じてやみません。思い込みですね。
 こうして思いを巡らせているうちに、連合運動会、今で言うところの、「放送陸上」のようなものなんですかね?その連合運動会で歌った「三小応援歌」を思い出したわけです。
それでは、「三小応援歌」について、ひとくさり。
 その昔小学校から、停車場、つまり西武池袋線の「狭山ケ丘駅」です。「停車場」と言ったら、「狭山ケ丘駅」のことでした。その狭山ケ丘駅までてくてく歩き、一駅先の「西所沢駅」へ。その「西所沢駅」から、またとぼとぼ歩いて所沢小学校へ行きました。「小手指駅」ができるのは、まだずっと後のこと。
 何年生頃から行ったのかは忘れてしまいましたが、所沢市内の全小学生が所沢小学校に集って、それはそれは盛大でした。あの頃、町場の子供たちは「トレパン」なんちゅう、小じゃれたものを履いていて、随分と垢抜けて見えたものでした。本当に忌々しかったです。
 その連合運動会のときに、片面を赤、もう片面(反対側)を黄色に塗ったうちわ(これです)を打ち振りながら、声を限りに歌った応援歌。そして、選手たちが胸と背中に付けていたゼッケンの、とても速そうに見える凝ったデザイン。
 大体このあたりまで話すと、「おめえは、つまんねえことお、よく、おべえてんなあ」といわれるわけでございます。覚えていることは仕方のないことでございますし、覚えなければならないことを覚えなかったら、今のような生活を細々と営んでいるわけでございます。
 今は、昨晩妻に言われたことも覚えていられずに、大変肩身の狭い日々を送っています。
 また、横道にそれてしまいました。気を取り直して、さて、いよいよ競技が始まると、どの種目でも、金、黄色のことです。その金が一番で、自分は選手でもないのに、とても誇らしい気持になったことを覚えています(「どうだ。参ったか」っていう感じですね)。本当につい昨日のことのように思い出すわけでございます。
 ちなみに、三ケ島地区は「黄色」と決まっていました。また、三ケ島の中でも色が決まっていて、一区が赤、二区が白、私の住む三区は黄色でした。本当に「どうでもいいこと」を、よく覚えているものです。哀しい。
 また、気を取り直して、そのころ選手だった先輩は、今でも大変足が速いです。やはり、遺伝でしょうか?私には、高所恐怖症が伝わっております。
 余談ですが、この前たった一人きりいない、妻の前で、「なぜ足の速い人は褒められたり、表彰されるのに、手が早い人は褒められねえだんべえ」と口走りましたところ、「一生馬鹿言ってろ」と、大変褒められたうえに、やっちゅうほど張り倒されました。
 ついでに、小学二年生の時に山口小学校で開かれたドッジボール大会にも、てくてく歩いて応援に行きました。現在の、東邦電子です。校舎につっかい棒があるのと、校舎と校庭の間を道路が通っていたには、たまげたもんです。いやあ、驚きました。私は覚えておりませんが、三ケ島小学校の校庭にもつっかい棒があったそうです。残念ながら覚えておりません。本当です。
 それから、山口小学校で、もう一つ驚いたのが、わき水で雑巾をゆすいでいたことです。現代でしたら、「超天然水」と呼ばれる、高級名水を使っての掃除だなんて。な、何と贅沢な。
 さて、先ほど出てまいりました、たった一人しかいない妻が当時を思い出しながらのたまうには、「校庭と校庭の間に県道が通っているのは全国で二校だけで、交通事故がなかったのも珍しかったんだって」とのことでありますが、あの頃は自動車そのものが少なかったですから。
 赤い糸で結ばれた妻がそのようにのたまっているわけですから、「素晴らしい」と言っておくのが、微妙なミリタリーバランスをとるうえで最善の策と言ってよろしいのでしょうか? 
 さてさて、毎度毎度脇道にそれたり、前置きが長かったりで申し訳のないことでございますが、いよいよ「三小応援歌」行ってみましょう。と、その前に、
 この歌の元歌は、「歩兵の本領」という軍歌です。
「万朶の櫻か襟の色 花は吉野に嵐吹く 大和男子と生まれなば 散兵戦の花と散れ」
(以下、何番も続く)
この、「歩兵の本領」を元歌に作詞されております。

「武蔵狭山のゆかりの地 朝な夕なに鍛えたる
三小健児の血は踊る いざや試さんこの腕(かいな)」

「ラインに立ちしこの勇姿 額に漲るその闘志 
三小健児の力見よ 香りも高し我が校史」

「正々堂々戦えば 金の鉢巻きゴールイン
三小健児の意気あがる 誇れ連勝連勝を」

「高く聳える富士の嶺 誉れ輝く優勝旗
三小健児の名は残る 光る玉の眉(お)我が校史」
  
と、実に四番まで、スタート前からゴールするまでのことが、しっかりと、写実的に作られているわけです。
   いかがでしたでしょうか?明らかに「歩兵の本領」を意識して作詞されています。素晴らしいセンスの持ち主であったことは、間違いないようです。
 今でも、亡くなった父が力仕事をするときに、「この歌は、俺の青春の歌だ。力が出る」といって歌っていたのを思い出します。
 近頃、軍歌が肩身の狭い思いをしているようですが、軍歌を嫌うばかりでなく、青春の歌としている人もいたことを、少しだけ考えていただければ大変嬉しく思います。
 そういえば、メーデーのときに「聞け万国の労働者」って聞いたこともあったような気がします。
 この他にも、「鴨拾い」の話とか、「薬きょう拾い」の話、「コガシ」にむせて飲んだ防火用水の水の味、竹の子の皮でくるんでしゃぶった、梅干しの味のこと。夢中で遊んで暗くなり、火花がきれいだったベーゴマ。
 ベーゴマといえば、背負いカバンを床にして教室でベーゴマをやって長時間、ほんとうに長時間立たされました。いいえ、私は恨んでおりません。決して、恨んでおりません。
 私たちが悪いんですから。教育的指導。愛の鞭。良い思い出です。職員室の前の池の金魚を釣って、近所の防火水槽に放流したことなどなど、機会がありましたらお話したいと思います。
 以上で、私の「三ケ島小学校校歌と三小応援歌の思い出」、という話は終わりです。
 とりとめのない話を最後までご清聴賜りまして、ありがとうございました。皆様も、小学校、中学校、高等学校、大学と、ぜひ、校歌を思い出していただきたいと思います。
 月日の経つのは早いもので、つい昨日元旦を迎えたと思っていましたところ、もうじき、二十四節気の一つであります「大雪(たいせつ)」です。意味は「雪が多くなる時期」だそうでございます。どうぞ、お身体を大切になさってください。
 終わりに、所沢西ロータリークラブのますますのご発展と、本日ご参会皆様方のご健勝と、私だけの幸せを心からお祈り申し上げながら、失礼申し上げたいと存じます。
 本日は、貴重な経験をさせていただきまして、ありがとうございました。
 もし、三ケ島にお越しの節は、三ケ島小学校前の通称「がっこうめえのシャチホコのある家」と聞いていただけるとすぐ分かりますので、是非お立ち寄り下さい。尚、留守にする都合がありますので、あらかじめご連絡をお願い申し上げます。それでは皆様、よいお年を。
正しい三ケ島弁と、美しい標準語を話すバイリンガル 新井 でした。   

                                                今週の担当 平林 忠                                   
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